2023.0409.04.03

おれが、ずっと思っていること、というよりも、

ここで何かをやっていることの目的、いや、方向性って何だろうって考えると、「いったい、ぜんたい

この世界って、いや、世界と固定させることもむずかしい、この一切そのものって、本当になんなんだろう」ということへ、ずっと向かえているかどうかみたいなことだ。

 

何をしたいのか、考えていくと、いつもこの感じにぶつかる。やっぱり不思議でしかたない。でも、このままぼっーとしていてもいいのかな?みたいな気持ちにもなる。なぜなら、こんなことをより考えるようになったのは、誰かが、こんなことを考えるように、何らかのかたちをこの世界に残してくれているからだ(別に当人が残したくてしたわけではないのかもしれないが)。

 

自分のそのなかの流れに行きたいのか、と言われると、行きたいし、むしろもう、行き始めているんじゃないのかしら?とは思う。

 

最近、思うこととしては、思ったよりも、自分は、

人として生きるときに、誰かと生きていくことのほうが性に合っているということだ。

これは寂しがりやということというよりも、もっと本来的な自分のありかたの話のような気もする。

 

 

 

2022/10/5 17:45

死なない、ということよりも、どうやって生きることができるのか、続いていくことのなかに居続けることへの興味。

昔はこの世で生きていくなかで、どんなことに価値を作っていけばいいのか、死んでしまったら終わり、ではなく、死んだあともつづいていく、つまりは、自分のもとだけでは完結しないところへ入っていくためにはどうしたらよいのか、ということを考えているんだけど、おそらくそれをするためには、ひたすらに思考の中に入っていくということがそれに近いような気がしている。思考している時、私は、ひとりではあるが、ひとりではない。いろんなことが私と言われるあたりのところで渦巻いていく、肉体を伴わないかたちで、あるいは物質のかたちをもたないなかで。そこで起こっている時間はどんな時間なんだろう、答えのない思考、次々とわかってはいき、次々と秘密に近づいている気がする時間。終わりのない時間というよりも、続いていく時間のなかに入っていっている。全霊が震えている、とでも言いたくなる。人間を超えたいわけではない。誰かが死んでしまったら哀しく、切ない。無敵になりたいわけではない。

その人とされている肉体が消えていき、その人とされる意識の動きが、現在という場所において、自分と交わるという感触が、たしかさをもって、感じられなくなくなることへの寂しさはある。

でも、生命はそれだけではない(ような気もする)。

おれはこの世界を愛するということは、死なないことなんじゃないか、どんなことがあったとしても、この世界にいつづけてもいい、という覚悟を持つことのような気もしてきている。

2022/9/12 22:16

ひとりでいること、それでありながら、さまざまな存在、うごきを感受するような時間と、

ときおり、誰かといてみたい、というふとした瞬間と、きっとどこかで疲れてしまうという予想。

 

 

2022/8/23/4:06

気づいたらもう2ヶ月ほど何も書いていなかった。

参ったね。時間がないこともないんだけど、研ぎ澄ましが足りないのかもしれない。なんかいいことを言おうとするのはよくない。書けること、話せることを書いて。書きたいことがない、ということもよりも、書きたいという気持ちはあるけど、書くという状態になるための手立てがないという感じ。

本当は誰かに聞いてほしい話はあるのだけど、聞いてほしさに、自分の全力を注ぐのはちょっと違うのかなと、リミッターをかけているのかしら。

何をしたいのか、という問い方はかえって目の前を暗くしてしまうので、何をしているときが、どこか自分にとって代え難いものを感じているのか、みたいなことの方が大事な気もする。

 

あなたは目の前を変えたいですか?

この世界、世の中というと、捉えがたい、変えがたいような気がしてしまうけれど、目の前であったらどうだろう?

目の前は変えたい。目の前が変わること。あらゆるものとの関係性が少しずつ、ときには一挙に変わっていく。固まっていると思っていたものが穏やかに流れていき、溶け込んでいく。おれは何を見ているんだろう。いや、何を見ているとかではないけど、おれは確かに何かを見ている。その何かの感触を、何らかのイメージに触れているような気がする。

仮にイメージにさわれているとして、おれはどうしようか、だれかに伝えたいのかな。本当は俺だけでもよい気もするけど、それは優しくないのかな。

優しさの先に行こうとしていることは恐れているのかな。ダイブしていくことが、自分が保持できないような状態へいくことが怖いのか。話は戻って、

イメージに触れているとして、その感触にたいしてもっと鋭敏になれたらとは思う。

 

 

 

 

2022/6/20 22:43

1日というものについてたまに考える。

 

1日という時間のルーティンがあり、

昔はそのルーティンの中にいることが嫌だったけれど、では、そのルーティンからはみ出して、時間の波に乗れたことがあったかいうとそういうわけではない。1日をどのように乗りこなしていくかで試行錯誤していく方が、自分が、世界で動いている複雑なものたちとのなかで共存している気がする。

どのような1日にしていくか、1日の中での自分をどのような状態にしていくか、そこに関心がある。

 

1日をほどよい集中のなかに居つづけたいと思っているけれど、ずっと集中のなかに居続けたいのかというと、なんだかそれを続けていく、続けていかなきゃいけないになると、「終わりがない」みたいな気持ちが芽生えてくるから、やり過ぎもよくない気もする。

これからのことに「終わりがない」と思うか、「ずっと続いていくんだ」とよろこびに感じるかによって、自分の生命の流れは変わってくる。

 

根拠はないけど、この一切の根源が「ずっと続いていく」と思えるような感触。この感触を思い出すたびに元気が湧いてくる。これを信じるという力なのだというのなら、おめでたいと言われても、続けていくしかない、続けていきたいと思う。馬鹿の強さ。

 

2022 6/12 14:13

本が読めないのに、思想家と呼ばれる人たちの言っていることが気になる。人類学者が伝うような宇宙への感触、宗教者のいう、宇宙のさわり、手を当てることで、何かができる、この世界と人間、生命というものの可能性。そればっかりが気になる。

はやく、そっちにいきたいんだけど、まだ、社会というもののにたいして宿題のようなものが残っている気がするから、いけないし、いかない。かいくぐっていかなくちゃいけないと思っているのかも知らない。