2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

最近日記を書いていないという日記

書いていないわけではない。仕事の日記と生活の日記をわけて書いている。(いや、仕事も生活ではあるのだが) でも、ふたつのことを書いているとふたり分書いているような気にもなる。仕事の方と生活の方で考えていることはほとんど一緒ではあるのだけれど、で…

2/19

最近は更新が滞っている。すこし困る。 でも、滞ってしまったとしても、日々は衰えず過ごされていくから、あまり不満はないんだけれど、、、

2/16

誰かと、あるいはいろんな人といっぱい話してしまうと、そのあとなぜか、落ち着かないときがある。 なんだか自分の位置がふわふわしている心地になるような、、、まあ単に浮かれているだけだと思うけど 笑 あと、それは話す内容と自身の気分にもよる(気がす…

2/14-2/15

あんまり覚えていないけれど、うまく休みが取れたところがある。むかしは休みの日はひたすらに部屋にこもっていたけれど、この頃は、とりあえず何かしらすることにしている。 そっちのほうが元気がでる。元気も持て余すとあんまりよくないのかもしれない。 …

2/13

理由なく始まりは訪れ 終わりはいつだって理由をもつ... (「M」浜崎あゆみ) これを曲の終わりにもってくるのに、うなっちゃうぜ、あゆ.... 自分のなかでひっそりと浜崎あゆみ週間がはじまった。 自分はいままであゆのうたを聴いちゃいなかった。こういった、…

2/9と2/10と2/11と2/12

その、4日間のなかで何も書いていないけれど何もしなかったというわけでもない。しかし、日記に書くことがほとんどない。だから、すすまない。ただ、それだけ。

2/8+

こうして日記を書いていると、日記の中に、ふだん自分がおぼろげに、けど、たしかな感触をもった自身の「世界の見方」(世界というのは、大それているかもしれないけど、でも、そう呼びたい)を、記していく感じになるし、なってしまう。 その「世界の見方」は…

2/8

去年からすることになった運転も少しずつ慣れてきた。でも、まだ、気づけていないことが多い。しかし、気づけることが増えたのは、ひとりで暮らすようになってからだ。ほぼ毎日気づきがあり、トライアンドエラーが繰り返される。 あと、予測することが増えた…

2/7

昨日と同じトマトスープを作る。 作るといっても、トマト缶に、玉ねぎをまるごととにんじん、ウインナーをぶち込んでひたすら煮込む、といったものだけれど。この前のナスも入れたやつのほうが美味しかった。 坂口恭平の本棚の写真を見たら、アナイス・ニン…

2/6

最近は早めに寝ているけれど、起きても足の疲れがとれず。頭はスッキリしている気がするけれど、すこしだけ困る。足に疲れがたまることは今までなかったんだけど。どうしたもんか。 夢のなかで猫が脱皮をしていて、その猫をかわいがる夢を見た。毛が整ってお…

おぼろげな精霊が手のひらにやってくる

手かざし、というものがある。 人が痛がっているところに手をかざすと、 その人の痛みがなくなるというやつだ(あんまり調べたことないけど) まあ、それでも、人はよく誰かが怪我をしたときに「手当て」というのだから、人の手にはいろんな可能性があり、秘め…

2/2

思えば、ここ最近あまり日記を書いて(書けて)いなかった。 でも、このブログのなかで思ったことを書いたりしているのは、その日あるいはその前後の日に出会ったものや思ったことたちの痕跡を残すつもりで書いているのだから、それもまたひとつの日記であるの…

スフィンクスと建築のなぞ、そしてaikoはすごい

スフィンクスは人間がつくったものではないとされる説がある(らしい) 感覚でしかないけれど、その仮説のもと、スフィンクスを気で探ると、 反応がくるので、この仮説で当分探っていくことにした。 でも、人間がつくったものではないとするのならば、いわゆ…

エミリー・ディキンソンの頭上から見つめる(感受する)視線

ぼくが好きな詩人のひとりにエミリー・ディキンソンという人がいる。 机の上にある『対訳 ディキンソン詩集』(亀井俊介編)から、ぱっと開いた目にした詩を引用する。 わたしがもう生きていなかったら わたしがもう生きていなかったら 駒鳥たちがやって来た時…