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昨日、自分の関心あることを書こうとしたけど、あんまりうまく言えなかった。

とはいいつつも、そんなに気にしていない。

うまく言えるのなら、たぶん、ここで何回も書こうとしていないし、自分なんてどうってことないと思えば、いくらでも書ける。

 

この前、友だちから「これマジ面白いよ」とLINEが来た本が、小島信夫保坂和志という人たちが、小説のことを考える書簡が本になった『小説修行』という本だった。

 

これは自分も面白いと思いながら読んだ記憶がある。読んでいるとなんだか心地がよい。考えていることそのものがどんどん展開していくような動き。それを感じながら読んでいくのが楽しかった。

本を最後まで読んだり、そもそも読んだりすることが苦手な自分にしては珍しい。そういう本なら、楽しく読める。そこでは、すでに起こったことが書かれているのではなく、いま起こっていること、これから起こること、すでにもう起こってしまっていて、今も起こり続けていること、それらが含まれた何かがこの世界に常にあることが書かれ(書かれてしまっていて)、こういう本の文章を読んでいると、それがわかってくる気がする。

そういうものを読んでいき、ある見方を身につけていくと、世界は常に面白いものとして姿を変えていく。日常に起こっていることが、いかに大変なことなのか、そのものの凄さみたいなことに驚ける。

 

これは、たまに、というか、よく思うことだけど、自分の小ささがわかればわかるほど、世界の大きさがわかってくる気がする。

 

自分はそういうことをたまに思うけれど、何を見たときそういうことを思うのか、その気づきの過程そのものをうまく説明できない。つねに、具体の色彩がないから、おれもまだ読んでいて本当に面白くはない。それが少しずつでも書けたらいいな、とは思う。