2021/23:22

おれのあたまがひたすらに悪いのか、自分が感じていることは言葉の姿をしていない。五感というよりも、五感も内包されているようなその向こう側。そんな予感。いわゆる勘ってやつなのかもしれない。ものごとには、その日その日、その時の流れのようなものがある(気がする)。その日、その時の流れをできるだけ正確にとらえようするために、自身もまたうつろっている状態であることも忘れちゃいけない。その日、その日によって、ものごとの見えかたは変わってくる。おそらく、体調、天候、気候、もある。

 

知っている/知らないことではなく、気づいていたとしてもまだ感受できていない、そんな気配のあるところばかり見つめている。正直、他人はあまり関係がなく、比べるとしたら、数々の自分だけなのかもしれない。

おれは知っている知らないで批判することを主眼とした言葉をつかうことが、できないし、したくもない。

ものごとを考えているとき、どこにわたしの集中点があるのか。どんなところを見ているのか。