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最近は早めに寝ているけれど、起きても足の疲れがとれず。頭はスッキリしている気がするけれど、すこしだけ困る。足に疲れがたまることは今までなかったんだけど。どうしたもんか。

 

夢のなかで猫が脱皮をしていて、その猫をかわいがる夢を見た。毛が整っており、手を甘噛みされてかわいかった。昨日、人と猫の話をしたからかもしれない。あとサチモスが活動休止をした。おれはわりとサチモスが好き。思いおこせば、サッチモ(Louis Armstorng)も好きであった。理由は名前がカッコよかったのが大きい。いまはあんまり聴かなくなったけど。サチモスは聴くよ。

 

あと、退屈はしないとどこかで書いたことあるけれど、それはどこかで緊張している時間があるからかもしれない、とそんなことを思った。

 

友人が最近加藤典洋という人の『耳をふさいで、歌を聴く』という本の感想を聞いた。

専門家ではなく、かといって過剰な音楽ファンでもない、いわゆるどこにでもいるような(そんなものがあるのかは別として、あくまでイメージだけど)聞き手のなかに起こっていること、感知できていること、その核のありかを、探っていくという軌跡らしい。(だから、演奏を分析するような耳をふさいで、歌を聴くんじゃないかって)もしくは、歌を聴いたあとに、自分のなかに残るものを聴くと言えるのかもしれない。

ぼくはこういう素人ながらに、出会い頭のものに真っ裸ってたたかうようなものがわりと好きで、それはいわゆる準備がないから、自分の地肩というか、自身の地がでてしまう(気がする)。

つねに自分のもとにある、世界への視線そのものが浮き出でくる感じがするから、つい読んでしまう。むかし読んだ吉本隆明の『ハイ・イメージ論』とかそんな感じだった。