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昔は本が読めた。小説もすらすらと、何の気なしに読むことができたんだけど、大学生になってから読めない。たぶん、大学生になってから読んだ小説、全部で10冊ちょっとあるかないかぐらいじゃなかったか。

理由のひとつとして読んですぐ飽きるというものがある。1ページ目読んで面白くなかったら、もう読めない。けど、口述の本とか、対談の本なら読める。(みんなそうかもしれないけど)。

読める本が決して多くない。けれど、その狭い入り口からある種のひろがりに向かうことができるんじゃないか、という煙のような状態での確信はある。

かすかだけど、たしかにそこにあるといったような。

 

これはある種の文盲ではないと思っていて、かといって、どう説明していいかわからないから、困る。

ひとつあるのは、自分にとって1番頭が回るのが、音楽を聴いていてるときというのが大きい気がする。

けど、頭は回っていても、うまく言葉でつかまえることができないから、おそらく本を読むんだと思う。

 

本を読めないからといって、感覚がすべて、というわけでもない。身体のおもむく方へ、とか、それって本当ひとつの動きだすきっかけというかトリガーでしかないというか。それを本質にしてしまっては、元も子もないないと思う。直観は大事だと思うけど。それを探りあてていく作業のなかに言葉がある。むしろ、この言葉への不自由さのなかに可能性があると思ったりする。

 

何かと繋がることができない、そこからいかにして繋がることができるのか。距離というか隔たりといか。そこと繋がるための作業。言葉から逃げなくてよかったと、たまに思う。あいかわらず、読めてはいないけど。