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実家にいる親が家の整理をしているらしく、ついに、見つかったと連絡がきた。
小学生のとき、毎日ノートに1ページ自習をするという課題があったけれど、そのときに書いていた文章が見つかった。なかなか、いいことを言っていた。
ケンカ
ケンカはいたい
体の部分が痛くなる
でも言葉はもっといたい
心の全てが痛くなる
でもそれを直す
薬は人の心しか
ない
ぶどう
ぶどうは日本人のようだ。
待つ
最近人が人を殺すことが
多い
なおす努力も必要
だがその時代は
いつか終わる
じっとじっと待つ
字
字で人生が変わる
そう思わないか
大切
人はなんどでも
一度失わないと
その大切さが
わからない
ぶどうはよくわからないし(けど、そのとき感じたイメージは思い出せる気がする)、
待つことに関しては誰の目線なのかよくわからない。しかし、今も昔も、考えていることは今とさほど変わらない、という気づきもあった。小学生のときに気づいていたのに、最近それに気づきなおすまでに、10年ぐらいかかってしまったこともある。
まさか、子どものときの自分に教わることもあるのかと、驚く。
また同時に、自分がそこまで頭がよくないこともわかった。決して卑下しているではなくて、頭をつかうところとは別のところで、生きているような感じ。
子どもの頃に感じていたこと、思っていたこと。
そのところから、よりふかいところにいきたいと思う。
赤ん坊の向こうがわに行くぐらい、より馬鹿にならないと見えてこないもの。
過ぎ去っていくものの凄さそのものを、自分のもとで、とどこおらせることなく、
成熟とはべつの方向に、自ずとなっていくような、そんな感じ。