5/5

実家にいる親が家の整理をしているらしく、ついに、見つかったと連絡がきた。

小学生のとき、毎日ノートに1ページ自習をするという課題があったけれど、そのときに書いていた文章が見つかった。なかなか、いいことを言っていた。

 

ケンカ

ケンカはいたい

 体の部分が痛くなる

でも言葉はもっといたい

 心の全てが痛くなる

  でもそれを直す

   薬は人の心しか

  ない

 

ぶどう

ぶどうは日本人のようだ。

 

待つ

最近人が人を殺すことが

 多い

なおす努力も必要

だがその時代は

いつか終わる

じっとじっと待つ

 

字で人生が変わる

そう思わないか

 

大切

人はなんどでも

 一度失わないと

  その大切さが

    わからない

 

ぶどうはよくわからないし(けど、そのとき感じたイメージは思い出せる気がする)、

待つことに関しては誰の目線なのかよくわからない。しかし、今も昔も、考えていることは今とさほど変わらない、という気づきもあった。小学生のときに気づいていたのに、最近それに気づきなおすまでに、10年ぐらいかかってしまったこともある。

まさか、子どものときの自分に教わることもあるのかと、驚く。

また同時に、自分がそこまで頭がよくないこともわかった。決して卑下しているではなくて、頭をつかうところとは別のところで、生きているような感じ。

 

子どもの頃に感じていたこと、思っていたこと。

そのところから、よりふかいところにいきたいと思う。

赤ん坊の向こうがわに行くぐらい、より馬鹿にならないと見えてこないもの。

 

過ぎ去っていくものの凄さそのものを、自分のもとで、とどこおらせることなく、

成熟とはべつの方向に、自ずとなっていくような、そんな感じ。